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筑波山の歌垣
  一般には「歌垣」は,古代に男女が山や市などに集会し,歌をけ合い,歌のことばの呪術的信仰に立つ男女の唱和,歌争が,原義といわれている。東南アジアから渡来した習俗のひとつと考えられ,中国の南東部に住む少数民族「苗族」の間では,「遊方」と言われているこの歌の掛け合いの儀礼が現代でも残っている。

  日本の古代の歌垣の場として知られている場所には,摂津の国「歌垣山」,大和の石榴(つば)市・軽市,肥前杵島岳,などがあるが,筑波山は,その歌垣の場の最も古く,最も著名な場のひとつであった。

 その起源は,『常陸国風土記』によれば,神祖の尊が新嘗祭の夜に子供である富士山を訪ね一夜の宿を請うたが断られ,別の子である筑波山に宿を請うたところ,心良く招き入れられ,歓待を受けた。神祖の尊は,これをいたく喜ばれ,「愛しき子の坐す宮は,高くそびえ,日々とともに,人々が集まりことほぎ,飲食(みけ)豊かに,代々絶えること無く,日に日に弥栄え,千代万歳に,遊楽は尽きることがないであろう」と詠われた。 これより後,富士山は常に雪に覆われて登れず,筑波山には人々が行き集い,歌や舞が供され,宴が繰り広げられるようになった・・・とされている。
 その起源において,筑波山の歌垣は土俗信仰的な色合いを強く有し,マレビト神である神祖の尊の誓約という「言祝ぎ」を得て,それを慶び讃える人々の儀礼的習俗として催行されていたと考えることができる。
 これが,しだいに男女の求婚・求愛の場へと発展していくのだが,筑波山の祭神が夫婦神,豊穣と繁栄をもたらす山の神でもあることを考えると,実に当然のことのようにも思われる。
 ふたたび,『風土記」の記述にもどれば,
 「坂より巳東(ひむがし)の男女,春の花の開ける時,秋の葉の黄つる節,携え連なり,飲物を持ち来て,馬にも歩(かち)にも登臨り,遊楽(あそ)び,いこえり(中略)詠える歌もいと多くして,載車(のす)るに勝(た)えず。俗(くにびと)の諺にいわく,筑波嶺の会(つどい)に妻問いの財を得ざれば,児女とせずといえり」
とある。
 「坂」とは足柄峠のこと,今風にいうなら,「箱根の関所のこっち」側は,都からみれば異界・・・この世ではなく,「常世」=ニライカナイや根の堅洲国に等しい,「坂のあちら側」の世界であり,異文化の開花する「自分たちの領域」とは異なる領域であった。
 花の咲く時期,秋の訪れを告げる時期に,男女が酒や食べ物を持ち寄り,筑波山に寄り集って,歌を読み合い掛け合う,この習俗は同時に農耕や狩猟に対する儀礼の性質も有している。春には作物の豊穣を願い神に祈りつつ詠い,秋には豊穣・豊作を感謝し神を讃えて詠う・・・。
 ハレの場の盛り上がりは,同時に大地や水のエネルギーの高揚をも促す,そして人のエネルギーも最高潮に達する・・・ということになる。
 そのうちに,この筑波の歌垣に出て,妻問い=求愛のひとつもかからないようでは,娘(=オンナ)ではないというまでになってくる。(現代風にいえば,合コンで誘いのひとつもかからないようじゃ・・・というところか?)

 逆は・・・というと,天地開闢のころから,男が女にプロポーズすることが正しい在り方である・・・と『古事記』などにも書かれているためか,「夫問い(つまどい)」は無い。あくまでも,「求婚してほしいんだけどなぁ・・・」という風に娘たちは歌を詠む。それを男が受けて,求婚の歌を返す・・・というのが定番の作法=スタイルであったようである。
 
 ともあれ。この和やかな宴は,ヤマトタケルの「ことむけ」=実は,武力制圧にかかるまで,筑波の嶺に花咲くのであった。
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